タイの人たちの「嘘」に悩まされたことはないだろうか。たとえば買い物。たとえば約束事。彼らは事実と異なることを平気で口にする。でもそれは嘘ではなく真実に対する姿勢、認識の違い、という話。
タイ製新型コロナワクチンはどうなった
「タイでは開発が急がれている新型コロナウイルスワクチンのサルへの投与が好結果だったため、関係機関からの承認を経て2020年10月にも人への臨床試験が開始される見通し」
「2021年中頃には一般人への接種が開始され、1回620バーツ前後の予定」
新型コロナが蔓延する中、タイでは世界に先駆けウイルスのワクチンが今にも完成しつつあるような報道が何度もされた。
具体的な価格まで書かれ希望を抱いた人も多かったことだろう。
日本のメディアもけっこう大きく扱いタイ国民は鼻高々だった。
でもその後タイ製ワクチンに関するニュースは途絶え、ご存じのようにワクチンは国外から入手。
あの威勢のよいニュースは何だったのだろうか。
悪いことは考えないタイ人
なぜ国内トップの医療機関があのような発表をしたのかぼくにはわかるような気がする。
まず、見通しの甘さ。
タイの人たちは物事をよい方向にしか考えない。
たとえば何か商売を始めるにしても、うまくいくと信じ込み、うまくいかなかったときのことは頭にないのだ。
「もし・・・したらどうしよう」
負の方向に頭が行きがちな日本人と対照的である。
謙遜は美徳にあらず
そして自慢癖。
「ああ、私はなんと素晴らしい」
少しでもよいところがあれば自画自賛。
タイでは主観がすべて。
客観性は考慮されず謙遜は美徳でないどころか「自慢する器量さえない小物」と囁かれる。
ワクチン開発でいうと、遙か遠くに光明が見えていればそれはもう成功したと同じこと。
一刻も早く自慢したい。
結果が出る前に成果を口にしてしまうわけである。
タイ人は嘘つきか
さらには、真実に関係なく相手の望む返答をしてしまう国民性。
「タイ人は嘘つきだ」
こんなことをいう人が少なくない。
誤解である。
確かにタイ人と付き合えばしばしば事実と異なる言葉に振り回されることがある。
これを日本人は「嘘」と言うけれど彼らに「嘘」の認識はない。
受け入れ難い真実よりも望まれる嘘
上にも書いたがタイの人たちは何か質問をされるととっさに相手に忖度した返答をする癖がある。
たとえば、記者からワクチンの進捗具合を訊ねられれば、すぐに完成しそうな返答をしてしまう。
なぜならそれが望まれている答えだからだ。
マスコミもその答えを疑ったりはしない。
望んでいた答えだからだ。
期待していた国民も大喜び。
事実と異なってはいるが「ワクチンまもなく完成」は誰もが満足する良いニュースだった、というわけだ。
真に受けてはいけない
こういったことは日常とても多く、ビジネスの現場でも例外ではない。
たとえば、
「頼んでいた件、期日に間に合いそうですか」
と訊ねるとその時点で既に間に合わないことがわかっていても、
「大丈夫です」
と答える。
これは別に相手を騙してやろうと思ってのことではなく、むしろ相手を安心させよう喜ばせようと思ってのこと。
タイの人たちにとって大切なのは今、目の前にいる人、今この瞬間、なのである。
だから相手の望む答えをする。
彼らは目の前にいる人を傷つけたくないという思いはあるのに、事実を述べなかったことによって相手がどんな目に遭うかは考えてくれない。
これ、けっこう頭の痛い問題。
タイでは人の言葉を真に受けたりせず、それが真実かどうかをよくよく見極めることだ。
当たり前のことではあるけれどね。
真実をあまり重要視しないタイ
日本人はよく
「真実を知りたい」
という。
日本人にとって真実は大切なことである。
でもタイの人たちは日本人ほど真実に重きを置いていない。
真実でなくても納得できればそれでよし。
こういうことを書くと叱られそうだけれど、この考え方は歴史なんかにもけっこう現れている。
真実の歴史よりも誰もが満足する歴史が優先なのだ。
嘘を追求しすぎるとろくなことにならない
期日に間に合いそうもないのに
「もうすぐ、もうすぐ」
と答えるのは日本人にとってごまかしであり言い訳であるけれど、タイ人からすればごく自然な反応。
真実に対する考え方の相違だとぼくは思う。
逆に言えばこういう国民性の違いを知っておかないと、
「お前は嘘つきだ」
などと腹を立てトラブルの元になりかねない。
日本では真実を突止めるのが当然のことであってもタイではしばしば行き過ぎた行為、攻撃とみなされる。
当然、攻撃された方は反撃をする。
しつこく追究しすぎるとろくな結果にはならない。
真実が大切、というのは日本人の考え方。
でもそれが絶対に正しいということはありえない。
すべては相対的なものなのだ。
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