タイ人は子供をとても大切にする。日本人はそういうタイ人を見て「甘やかし過ぎ」「子供が駄目になる」と批判するのだが、日本式子育てとタイ式子育てを比べてみて実際はどうなのか、という話。
タイ人は無類の子供好き
タイの人たちは幼い子供を見かけると知らない人の子でもやたら触りたがる癖がある。
それが女の人ならともかく、むさ苦しいおっさんまでがほっぺたを指でつんつんして
「わあー、可愛い」
とか、弾んだ声を上げるのだからけっこう不気味だ。
勝手に人の子供を抱き上げ嬉そうにひげ面をスリスリ押し付けることだってある。
親からすればあまりありがたいことではないが子供好きだというのはよくわかる。
子供を叱らないタイ人
タイの子供たちは幼い頃からとても可愛がられて育つ。
何をしても叱られることがない。
たとえば、親に連れられて人の家を訪れた子供は手にした袋菓子を巻き散らかしたり、その辺に飾ってあるものを放り投げたり、まるで檻から抜け出した子猿のようだけれど、親は咎めるどころか、
「この子は大胆だ。大物になるぞ」
と喜ぶのだから相当なものである。
その家の人だって別に怒ったりはしない。
「やんちゃだなあ」
とかいって一緒に目を細めている。
バンコクの市内バスでは子供が乗り込んでくると疲れた大人がさっと席を立って元気な子供に席を譲るのが当たり前。
「いったいこの可愛がりようは何なのだ」
外国人は目を丸くする。
不可解なぐらい子供を大切にする人たちだ。
タイ人は子供を甘やかし過ぎ?
タイの親は子供が何かねだればできる限りすぐに買ってやり、よそ様に何かしでかした場合は「悪いのはそっちだ」と、開き直って相手を罵り、望むことは何でもやらせ、我慢や忍耐を強いるようなことはしない。
叱るなんてとんでもないことだ。
子供たちはのびのび育ち、大人になっていく。
それにしても少し甘やかし過ぎじゃないか。
確かに、タイの子育て法は日本人から見れば甘やかし過ぎである。
レストランなどで騒ぎまくる子供たちにちゃんとした躾がされているとは言い難い。
しかし、大きくなってどちらが親を大切にするかというと、これはもうタイの子供たちなのである。
親を思う気持ち、親子の絆は今の日本人より遥かに強い。
タイの人たちには、子供に嫌われてまでしなければならない躾けがあるとは思えないのだ。
タイ式子育てはマザコンを育てる?
「タイの男にはマザコンが多い」
タイで過ごしたことのある日本人はよくこういう。
確かにタイの若者に反抗期らしい反抗期はあまりない。
母親に対する愛着は深く、年頃になっても一緒に歩いたり遊んだりすることを厭わない。
日本人はそういう風に母親と仲良くしている男を見るとすぐにマザコンだという。
どういうわけか女の人に多い。
「いつまで経っても自立できなくなる」
女の人たちはこう説明するのだけれど、本当だろうか。
タイでは成功している人たちも母親をとても大切にする。
日本人の目から見れば完全なマザコンだ。
ぼくはこういった関係を少し羨ましく思う。
ぼくの母親は「甘やかすと癖になる」が口癖だった。
父親と娘の関係
近年、日本の年頃の女の子は必要以上に父親を嫌い、ろくに口もきかないという。
これが日本式子育ての成果なのだろうか。
色々事情はあるのかもしれないけれど、親子以前に人間としてどうかと思う。
タイではこういう話をあまり聞いたことはない。
もちろん、タイ式子育てが称賛に値するほどよいとは思わなが、日本式子育てがタイよりよいとも思えない。
ちなみに家では、娘に自分のシャンプーを使われて腹を立てたのはぼくだったし(髪が長いからぼくの数ヶ月分を数週間で使うのだ)。
娘が自分の歯ブラシとぼくの歯ブラシを数ヶ月にわたり間違って使っていたのに気づき、ウエゲーとなったのもぼくの方だった。
こういった感覚は日本人特有のものかもしれないね。
厳しい躾は子供のためになるか
「甘やかすのは子供のためにならない」と日本人はいうけれど、本当だろうか。
「子供のために叱る」というけれど、本当に子供のためだけなのだろうか。
ぼくが育った時代は体罰がごく当たり前で、特にぼくなんかは生意気で反抗的だったから小学生のときから先生たちに目の敵にされ、やたらぶん殴られた。
国語の先生には本の角っこで叩かれ、体育の先生には拳骨でコメカミをぐりぐりされ、数学の先生には大きな定規でしばかれた。
強烈だったのが音楽の女の先生で、彼女は大リーグの投手のように振りかぶり全身全霊の力を込めてタクトをぼくの頭に叩きつけた。
タクトがべきっと折れてふっとんだのだから本当に渾身の力だったのだろう。
よくもまあ、頭が無事だったものである。
「あんた、いったい何をやったんだ」
とか訊かれそうだけれど、必死に先生のお言葉を聞いたりはしなかったものの授業を邪魔したわけじゃなし、ただおとなしく座っていただけで叩かれるようなことをしたつもりはまったくない。
どう考えても理由がわからないから反省のしようもない。
今から思えばきっと存在そのものが目障りだったのじゃないかと思う。
先生方はぶつだけぶって気が晴れると、きっと「これは愛の鞭だ」「お前のためなのだ」といった。
…これ、どう考えてみても癪に障っただけですよね。
子供心にもそれくらいのことはわかる。
音楽の先生は家のすぐ近くに住んでいが、親に話しても「お前が悪いせいだ」と言われるに決まっているので黙っておいた。
殴って人の性格は変えられない。
殴られるのが嫌で対外的には言うことをきくようになるだろうけど、内にあるものは何も変わらないばかりか別のものが芽生えてくるのが普通である。
その頃は今と違い、いくら理不尽でも生徒は黙って先生に殴られるしかなかった。
おかげでこんなに素直で人格高貴な人間になることができた。
殴ってくれた先生方と厳しい躾にとても感謝している。
最後に
子育てというのは時代をつないでいくことである。
今、子育てをしている方々の手にその国の未来がある。
自分が子育てをしているときはこんなことを考える余裕はなかたけれど・・・。
コメント