お客様に品物を買って頂く日本では客は神様だ。何を言っても何をしても許される。しかしタイでは品物は客に売ってあげるものだ。日本の常識を海外にまで持って行ってしまうと嫌な目に遭うのはあなた自身、という話。タイとの付き合い方シリーズ第5弾。
買い物は店員との戦いだ!
値段を訊いて買わないとひどく腹を立てる売り子が稀にいる。
昔、チェンマイの市場でつれあいがブラジャーの値段を訊き、ほかの所より高かったので買わなかったら妊婦の売り子は、
「ふん、安物なら道端で買え」
と吐き捨てた。
ぶち切れたカバン売り
バンコクの有名な衣料品店街プラトゥーナーム。そこの若い女のカバン売りはすごかった。
値段を訊いて買わずに去ると癇癪を起こし、カバンを台にバンバン叩きつけながら、
「何でよお、何でみんな買わないのよお」
「買わないなら見なくていいじゃない。声かけなくていいじゃない」
大声をあげた。
周りの人々はびっくりして足を止めた。
客をあざ笑う果物売り
マンゴスチンが安かったので1キロ買おうとすると、太ったおばさんは札に書いてある値段の倍を要求してきた。
「ここに30バーツって書いてあるじゃない」
「そりゃ、半キロの値段だよ」
安いどころかかなり高い。
「じゃあ、要らない」
返して去ろうとすると、
「おや、まあ。なんとケチな人間だねえ。あははは」
嘲笑された。
買ったとたんしらんぷりしたパソコン店店員
けっこう愛想のいいお姉さんの店で、パソコンの部品を買った。
金を払ったとたん、お姉さんはそれまでの態度を一転させ、そっぽを向き、何を問いかけても答えなかった。
売ったらこっちのもんじゃい、って感じ。
いったいぼくが何をしたというのだろう。
もう口をぽかあんと開けるばかりだ。
タイ人同士でも同じこと
ある若いタイ人の話。
彼は通りすがりに見かけた時計が気になり値段を訊いたのだけど、思いのほか高かったため、そのまま立ち去ろうとした。すると、
「銭がないなら高いもの使うことねえよ」
女の売り子は背中にこんな言葉を投げつけてきた。
「あの女、顔もひどいけどそれ以上に性格もひどい」
と思いつつも、彼は振り向いて微笑み、そのまま去ったそうだ。
「商売のやり方を教えるのはぼくの役目じゃないからね」
彼は言う。
ひどい店員と優しい客
その店は間もなく潰れ、店の跡を見た彼はこう思ったそうだ。
「彼女はきっと何日も何日も時計が売れなくて、あの日もぼくが最後の望みだったのだろう。
だから、期待を裏切られた彼女は落胆のあまりあんなことを口にしたんだ。
何だか彼女がかわいそうに思えてきた」
なるほどね。確かにそういう状況であればカリカリくるのもわかる気がする。
それにしても、よくこういう考え方ができるものだと感心した。
世の中、優しい人もいるものだ。
実は、ぼくもけっこう優しくて、同じ場面に遭遇すればにこり微笑んで去るタイプである。
ただ、売り子の姿が見えなくなったとたん、ゴミ箱などをガンガン蹴飛ばすところが多少異なる。
店員たちの態度が悪い理由
彼女たちは(ぼくの経験からいえば、あからさまにこういう態度をとるのはたいてい女の人だ)、売る努力をしないで売れないことを客のせいにする。
自分が悪いのではなく、買わない客が悪い、と腹を立てるのだ。
自分は絶対に悪くない。悪いのはいつも他人。
こういう考え方をする人はタイにけっこう多い。
日本人とはまったく異なる思考回路
彼、彼女たちは売れないことを嘆きはするけれど、客に愛想良くして買ってもらおう、という意思はまったくない。
せいぜい、マンゴスチン売りのおばさんのように姑息な手段を思いつくぐらいだ。
こういう小狡さを彼女たちは「知恵」と呼ぶ。
当然、彼女たちの店はやがて潰れてしまう。
それでも彼女たちは自分を反省することはない。
理解不能の店員もいる
不思議なのは、品物を売ってしまうとざまあみろ的な態度をとる店員である。
そうしなければならない理由がまったくわからない。
釣った魚に用はない、ということを言いたいのか。
あるいは、そういう態度をとることに快感を覚えるのか。
それにしても、また来るかもしれない客に対しわざわざ来ないようにしむけるのだから店を潰そうとする自爆行為にしか思えない。
売ってやる、という態度にも理由あり
このようにタイの商店の接客は全体に強気なので「売ってやる」的な態度に腹が立つ、という日本人がたまにいるのだけど、考えてみればその態度は売り手として当然、とまでは言えないにしろ腹を立てるほどではないと思う。
たとえば、欲しい土地があったとする。
その土地を手に入れるためには「どうか売ってください」と土地の所有者に頭を下げるのが筋である。
反対に、土地の所有者がどうしても売りたい場合は買い手に「どうか買ってください」と頭を下げる。
ようは立場の問題で、絶対的に売り手が上、買い手が上、ということはあり得ない。
お客様が神様なのは日本くらい
日本では、買って頂く、買ってやる、というスタイルが定着し、当たり前のことだと思われているが世界ではあまり通じない常識である。
どうしてこうなったかといえば、今の日本は物に溢れ商店も過剰で競争が激化。
生き残るためには頭を下げて買って頂くしかない。
そういう態度を続けてきたもので消費者が思い上がってしまった。
ようするに豊かさの反動が要因の一つ。
さらには日本人の人が許せない性格の顕著化。
対応や製品に少しでも不満を感じると騒ぎ立て、不利な立場の者を徹底的に責める傾向が強まっている。
まあ、こうだからこそ、日本のサービスや製品が鍛えられ世界に通じるようになっているのだともいえる。
そもそも買い物とは何なのか
タイの場合、まず、競合する商品、商店が日本よりはるかに少ない。
そして何よりタイには日本のようにへりくだった接客で売り上げを伸ばす、利益を優先し感情を抑えて商売する、といった発想の店があまりない。
売れたら嬉しいし売れなければ売れないで仕方ない、の感じで、客に頭を下げてまで商いしないのだ。
それに対し、客側も日本人のように「気持ちよく買い物がしたい」などと精神的なものを店に求めない。
そもそも買い物とは望みの物を手に入れることで、本来の目的外の店員とのつながりや店員の態度なんてどうでもいいはずである。
ところが日本人はここに上下関係や精神的なものを求めようとするので満足を得るのが難しくなってしまう。
豊かになると人の態度も変る
また、タイでは人の権利を尊重し、人を許すことが美徳とされている。
買い物の場合、店の人がどういう態度をとろうがそれは店の人の勝手で、多少不愉快な思いをしても許してしまう人が多い。
逆に言えば、消費者がサービスや製品を磨き育てることがないわけだ。
とはいえ、タイの商店の接客態度はここのところずいぶん丁寧になっている。
一昔前、スーパーなどではカバンの持ち込みを禁じたり、カバンを持ち込んだ場合は店を出る前にカバンの中を開けて調べたり、客を泥棒扱いする所が少なくなかった。
今は自由に持ち込みできるし、レジでは「ありがとうございます」といってワイ(合掌)までしてくれる。
昔を知る者には信じられない変化である。
これは、巷に品物が溢れ競合する商品、商店が増えたこと、つまりタイが豊かになったことと、大手では日本など外資系店舗の商法を取り入れるようになったことが理由と思われる。
個人経営の店舗はまだまだ旧態のところが多いけれど、そういう店で日本並みのサービスを求め「サービスが悪い!」といって腹を立てるのは無意味な消耗。
態度が気に入らないのであれば買わなければよいだけの話で腹を立てる必要はない、とぼくは思っている。
だから、売り手の方も、売ってやる的な態度を取るのは勝手だけど、買わなかったからといって客に八つ当たりするのはやめて欲しいものである。
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