タイ人はクラクションを鳴らさない
タイを運転したことのある人ならすぐに気づくことなのだけど、タイのドライバーはやたらライトをチカチカ点滅させるのにクラクションは鳴らさない。
クラクションを鳴らしまくる日本人にはこれが不思議で仕方ない。
なぜだろう。
鳴らさないのは銃を所持している人がいるから?
タイは銃を所持している人が多いうえ、警官ですらしばしば銃で事件を起こす。
一般人が銃を持ち歩くには特別の許可が必要だけれど、軍関係者、権力者、警官等は日常でも私服で銃を携行している。
クラクションを鳴らせばいさかいになりやすい。
万が一見誤ってそういう人相手と喧嘩したら大変なことになる。
だから用心して鳴らさない。
という趣旨の記事を先日日本語のニュースサイトで読んだけれど、違うと思う。
問題は、なぜ、クラクションを鳴らせばいさかいになるかということなのだ。
クラクションを鳴らすのは喧嘩を売っているのと同じこと
昔、ある女の人がぼくに言った。
「クラクションを鳴らすのは喧嘩を売っているのと同じことよ」
ぼくはびっくりした。
それまでクラクションをそういう風にとらえたことがなかった。
でもこれはタイ社会の原則を考えれば理解できることだ。
日本とタイの社会の大原則
日本社会は「お互いなるべく迷惑をかけずに生きて行こう」というのが大原則。
基本的に人に迷惑をかけるのが嫌いで迷惑をかけられるのも嫌いだ。
今はどうか知らないけれど、ぼくが育った時代は「何をしてもいいけれど、人様にだけは迷惑をかけるな」と繰り返し繰り返し教え込まれた。
だから、原則を破り迷惑をかけた人が許せない。
路上だと、迷惑をかけてきた、あるいは迷惑をかけてきそうな人や車に対しクラクションを鳴らして抗議、警告する。
しかしタイは「迷惑はお互い様。少しくらいのことなら許し合おう」という考え方で社会がなりたっている。「寛容」こそがタイなのだ。
だから、原則を破り人が自分に干渉し邪魔することが許せない。
クラクションを鳴らさない本当の理由
クラクションの例でいうと、鳴らされた方は、
「ああ、この人は私のマナーが悪くて迷惑してるんだなあ」とは思わず、
「ああ、こいつは私に指図して私の自由を阻害する気なんだ」と思ってしまうのだ。
当然、鳴らされた方は腹を立てる。
「我慢はお互いさま」のルールに反し自分を攻撃してきたからだ。
それはもはや運転マナーの問題ではなく、面子の問題になってくる。
タイでは日本人からすれば実に些細ないさかいで殺人事件に発展することがあるのだが、これは原因そのものよりも、原則を破り、他人が自分に干渉し非難したことが許せない、ということである。
拗れればピストルが飛び出してこないとも限らない。
だから、よほどのことがない限りクラクションを鳴らさない。
多少のマナーの悪さくらい我慢して、その代わり、自分も気兼ねなく自由に運転をする、というのがタイ式なのだ。
クラクションを鳴らされ命がけの抗議
いつだったか、田舎の狭い道でぼくの車の前をおばちゃんの運転するバイクがのろのろ走っていた。
もう少し端に寄ってくれれば追い越せるのだけど、おばちゃんは車に気づかないらしくそのまま走り続けた。
拉致が明かないのでやむを得ずクラクションを鳴らしたら、おばちゃんは驚いた様子を見せた後、腹を立ててさらに道の真ん中に出てきた。
上の説にピタリ当てはまる行動だ。
「私は交通の妨げになっている、だからクラクションを鳴らされた」
という意識はおばちゃんにない。頭の中にあるのは
「後ろの車は突然、自分のやり方を否定し喧嘩を売ってきた。許せない」
という怒りである。
だから道の真ん中を走って抗議した。
ぼくがおばさんに合わせてのろのろ走っていたからいいようなものの、一歩間違えばはね飛ばされていた。
クラクションを鳴らされるのは、我が身の危険がどうでもよく思えるほど腹の立つことなのだ。
人気のない道だったし、もし、運転しているのがおばちゃんでなく腰に銃を挟んだ田舎のやんちゃな兄ちゃんだったら間違いなく事件になっただろう。
こういう場合、タイの人たちは相手が気づくまで一緒に走るか、路肩を走って強引に抜いていく。
タイで車を運転するときはこの辺の感覚の違いを理解していた方がいいのじゃないかと思う。
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