タイ人に注意やクレーム 難しさ

文化

タイとの付き合い方シリーズ第4弾。日本の常識とタイの常識は違います。日本人の正義とタイ人の正義も違います。クレーマー気質の人が多い日本人。日本式正義を背負ってタイで人に文句をいえばどうなるのか、という話です。

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うるさい!と怒鳴り込む日本人

想像してみてください。
たとえば、あなたがアパートやマンションに住んでいて、ほかの部屋の住人がうるさく騒いだり大きな音を立てたりして迷惑を感じたとします。
あなたはどうしますか。きっと、その部屋に文句を言いに行くでしょう。
日本人は他人の迷惑行為に敏感で、他人が許せません。

「ちょっと、あんたたち、うるさいんだけど、もっと静かにしてくれない。迷惑だよ」
「すみません。気をつけます」
日本の場合、相手もたいてい素直に抗議を受け入れてくれます。でなければ、
「警察に訴えてやる」
こういえばいいのです。
通報するとすぐに警察が飛んできて、事態を収拾してくれます。

態度の悪い店員や売り子との接し方
お客様に品物を買って頂く日本では客は神様だ。何を言っても何をしても許される。しかしタイでは品物は客に売ってあげるものだ。日本の常識を海外にまで持って行ってしまうと嫌な目に遭うのはあなた自身、という話。タイとの付き合い方シリーズ第5弾。

タイでは通じない日本式正義

これがタイだったらどうでしょう。
あなたは日本のときと同様、相手の部屋に怒鳴り込んでいきます。
「ちょっと、あんたたち、うるさいんだけど、もっと静かにしてくれない。迷惑だよ」
「これくらいいいじゃないか。気にするな。我慢しろ」
たいてい相手はむっとして言い返します。
「何だその言い草は。悪いのはそっちだろ」
あなたはカッときて怒鳴ります。

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攻撃を仕掛けてきた方が絶対悪

この「悪いのはそっち」という言葉、日本人の感覚では、相手がこちらに迷惑をかけたのだから相手の方が悪い、正義はこちらにある、ということなのですが、タイでは通じません。
事の善悪とは無関係に、あなたが怒鳴り込んできた時点であなたは彼らの生活を脅かす敵とみなされる。

相手からすれば悪いのはあなた。
あなたが敵である以上、彼らも戦わなければなりません。
というわけで、青筋たてて罵り合い、事態は深刻化していきます。

警察なんて怖くない

「警察に訴えてやる」
あなたは通報します。
でも怪我人や死人が出ていない限り、警官がすぐに来てくれることはあまりありません。
来たとしても、そんなにいがみ合わないで仲良くやりなさい、といなされてお仕舞いです。
隣近所のいさかいなど警官にとってはどうでもいい話。

相手は警官がいる間は大人しくしていますが、いなくなったとたん、以前にも増して騒ぎ始めます。
別にこれ、相手が外国人だから、というわけではありません。
タイ人同士でもこんな調子です。
また、騒音問題に限らず、すべての問題に当てはまります。

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そもそも異なる社会の原則

どうしてこういうことになるのかといえば、社会の原則の違いです。
日本社会は、お互いなるべく迷惑をかけずに生きて行こう、というのが大原則です。
だから原則を破り、迷惑をかけた方が許せない。
でもタイは、迷惑はお互い様、許し合って生きよう、が大原則。
微笑みの国、寛容の国、と呼ばれるゆえんです。
だから、原則を破り、他人が自分を非難することが許せない。

タイ式正義は個人にある

それから、日本の正義は法にありますが、タイの正義は個人にあります。
法は絶対的なものではありません。
何がなんでも守らなくてはならないものではなく、単なる罰則規定のようなもので善悪とは関係がありません。
法の下に人がいるのではなく人の下に法がある。
根本的に異なった考え方で社会がなりたっているのです。

だからタイの人たちは他人が何をしようと極力耐えます。
文句をいったらどうなるかわかっている。
日本人からすれば実に些細ないさかいで殺人事件に発展することだってある。
これは原因そのものよりも、原則を破り、他人が自分に干渉し非難したことが許せないわけです。
逆に言えば、タイの人たちが人の家に怒鳴り込んで行くということは、もう何が起きてもいいぐらいの覚悟で行くわけです。

許し合うことだ、と誰かが言った

日本人は他人のちょっとした過ちが許せません。
何かあればすぐに叱ったり文句を言ったりします。
私たちは幾度もそういう目に遭って慣れていますが、タイの人たちは慣れていません。
人から叱責されるのを極度に嫌がります。
自分が否定されたように感じ、必死で抵抗を試みます。
もしタイの人たちと付き合っていくのなら、このことだけは覚えておいた方がよいと思います。

覆水盆に返らず

タイに住んでいる日本人の中には、何か気に入らないことがあればすぐに怒鳴り込んで行こうとする人がいます。
それを回りのタイ人は止めようとします。
どうなるものでもないと知っているし、一度そういうことをやってしまうと関係の修復はもう不可能で、いがみ合い憎しみ合いがどこまでも続き、暮らし辛くなるのが目に見えているからです。

片目の国では片目をつぶれ

人はにわかに自分の常識を変えることはできず、ほかの国に住んでも自分の常識を頑なに守ろうとします。
誰もが自分の常識は正しいと思っていますが、常識は常に変わり行くものです。
絶対的な常識というのはあり得ません。
属する社会が違えば、自分の持つ常識が通じないのは当然。
でも私たちは自分自身がその社会で非常識な行いをしていることに気づかず相手を非難しがちです。
日本には日本の常識がありタイにはタイの常識がある。
それは良い悪いで判断できるものではありません。
片目の国では片目をつぶれ(タイの諺で郷に入っては郷に従うの意)。
異なる社会に暮らすというのはこういうことです。

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